BIOGRAPHY
フィッシュマンズ Fishmans 変幻自在の楽曲と透き通ったヴォーカル、タイトなリズムと重厚なグルーヴで90年代を駆け抜けた唯一無二のバンド。99年ヴォーカリスト/ソングライターの佐藤伸治が急逝し活動休止を余儀なくされるが、リーダー・茂木欣一の熱い想いで05年に再始動。佐藤伸治の楽曲を《いまの音楽》として演奏しつづけている。
レゲエ/ダブ/ロックステディを基調にロック・ファンク・ヒップホップを取り入れたサウンド、美しさと哀しみの同居するリリックは、多くのミュージシャン・クリエイターに影響を与えた。サブスク解禁を機にその作品が世界中に知れ渡り、耳の肥えたリスナーから熱い支持を受けている。
Members 佐藤伸治 / Shinji Sato (vocal) 結成~
茂木欣一 / Kin-ichi Motegi (drums) 結成~
柏原譲 / Yuzuru Kashiwabara (bass) '88~'98在籍
ハカセ / Hakase (Keyboard) '90~'95在籍
小嶋謙介 / Kensuke Ojima (Guitar) 結成~'94在籍
Biography 1987
初夏。バンド結成。当初のメンバーは佐藤伸治 (Vocal/Bass)、小嶋謙介 (Guitar)、茂木欣一 (Drums)。
佐藤と茂木は明治学院大学の音楽サークル・ソングライツの先輩後輩の関係。小嶋は別の音楽サークルの部員で佐藤と同級生だった。
最初に佐藤が持ってきたデモテープの曲は『Blue Summer』。小嶋曰く「カセットをもらった時からすべてが始まっていた」。茂木は初セッションでジャンプしながら激しく演奏する佐藤と小嶋に驚いたという。その日の帰り道、佐藤の提案でバンド名がフィッシュマンズに決定。

1988
5月。都内ライヴハウスにて活動開始。
8月。柏原譲 (Bass) 加入。明学ソングライツ同期の茂木が柏原の演奏に惚れこみ、佐藤に推薦した。小嶋は柏原が車を持っているという噂を聞き、加入を即決。「演奏うまいし車持ってるし最高だと思ったけど、実際は車なんて持ってないし、学校にもほとんど来てないし、やられたと思った(笑)」(小嶋)

1989
3月。雑誌『宝島』主宰のインディーレーベルから発売されたオムニバスCD『PaNic PaRadise』に『いなごが飛んでる』『Special Night』を提供。初のレコーディングは六本木MOD STUDIOで深夜に行われた。
4月。新宿LOFTで発売記念ライヴにスカンク、クスクス、ポテトチップス、ムスタングA.K.A.と出演。ほかのバンド目当ての女性ファンがステージ上まで溢れかえり、その勢いに圧倒される。

1990
3月。ムスタングA.K.A.に在籍していたハカセ (Key)がライヴ初参加。柏原がハカセの早稲田の下宿に泊まり込んで口説いたとのこと。柏原曰く、ハカセの参加を熱望していたのは佐藤だった。
ハカセが初めてリハーサルスタジオに来た時、4人でムスタングA.K.A.の『WONDERLAND?』を演奏して迎え入れた。ハカセは真顔でラジカセを出し、彼らの演奏を録音したという。「ハカセは最初から面白かった」(茂木)
4月。初のワンマンライヴ@渋谷La.mama。タイトルは『安い週末』。
10月。レコード会社ヴァージン・ジャパンと契約。
11月。ハカセが正式に加入。佐藤の発案で《とんかつまい泉 青山本店》で食事をする。「佐藤くんは、そういうことをちゃんとやる人」(ハカセ)

1991
2月。オーストラリアのメルボルンにてファーストアルバムのレコーディング。プロデュースは元MUTE BEATのこだま和文。こだまが初めてデモを聞いた時の印象は「ヴォーカルが何かとても歌いたいことがあって歌っているバンド」だった。こだまは「ベスト・オブ・ロックステディ」と題したカセットを作ってメンバーに配布し、ロックステディのイロハを叩きこんだという。
メンバーとこだまは、毎日レコーディングのあとメルボルンの街にくりだし、食事や酒を大いに楽しんだ。「外国ってこんなに自由なんだ。レコーディングってこんなに楽しいんだと思った」(柏原)
現地エンジニアから「Fishmans」は英語の文法的におかしいと指摘される場面もあった。
急遽、地元のライヴハウスにも出演。佐藤にとって、最初で最後の海外ライヴとなった。
3月。ワンマンライヴ@渋谷CLUB QUATTRO。タイトルは『ヨコワケで決めて』。
4月21日。デビューシングル『ひこうき』発売。ミュージックビデオに佐藤のイラストが使われた。
5月21日。デビューアルバム『Chappie, Don't Cry』発売。
6月1日。名古屋HeartLand でのライヴでZAKがPAとして初参加。柏原はZAKのおかげで自分たちの音に自信が持てるようになったという。
7月21日。セカンドシングル『いなごが飛んでる』発売。
8月。小淵沢と都内スタジオでミニ・アルバムのレコーディング。
9月。新宿駅アルタ前でフリーイベント。ZAKが上京し、PAとして参加。青空の下、茂木は「自分たちらしい演奏ができた」と語っている。
11月7日。ミニ・アルバム『Corduroy's Mood』発売。セルフプロデュース。ジャケット撮影は当時人気の渋谷系バンドを意識した仕上がりに。柏原は「デストラーデ(※西武ライオンズで活躍した野球選手)みたいにされた」と不満を持っている。

1992
1月。『100ミリちょっとの』がフジテレビ系ドラマ『90日間・トテナム・パブ』の主題歌に起用される。初のタイアップは制約が多く、佐藤が英訳した詞を歌わされる珍場面もあった。
2月5日。サードシングル『100ミリちょっとの』発売。
5月~6月。山中湖でアルバムのレコーディング。プロデューサー・窪田晴男のアドバイスは「好き放題やってくれ」「ホームランを狙え」。酔っ払ってから深夜に録音するなど、メンバー当惑の場面もあった。この時期、茂木と柏原は三軒茶屋クロスロードスタジオに毎日のように通い、演奏を磨いていく。
10月21日。セカンドアルバム『King Master George』発売。名曲と迷曲が混在する問題作。「(楽曲の)幅が広すぎて、聴く人の器が問われる」(ハカセ)
12月。フジテレビ系番組『わんわんバラエティ・スターはポチだ!』のOP曲に『いなごが飛んでる』、ED曲に『Walkin’』が使われる。

1993
2月19日。シングル『Walkin'』発売。その後メンバーが佐藤家に集まり、今後の方向性について話し合ったという。「タイアップとって売れるより、本当にやりたいものをやろう」(茂木)。「自分達がカッコいいと思うものをやらないとダメ」(柏原)
3月。ZAKをエンジニアに迎え、アルバム前半のレコーディング開始。
5月。河口湖と観音崎で後半のレコーディングを行う。
6月18日。先行シングル『いかれたBaby』発売。
7月21日。初のセルフプロデュースによるサードアルバム『Neo Yankees' Holiday』発売。今作で音作りの土台が確立された。小嶋は『Just Thing』の詞を見て、「何かと決別するような毅然としたものを感じた」という。茂木は作品の仕上がりに対して自身の実力が足りないと感じ、さらなる自主練を重ねた。
11月~12月。都内近郊のライヴハウスをまわる小ツアー『De La GELDOF 哀愁のMonday』。毎週対バンを続けることで、バンドは加速度的に力をつけていった。

1994
2月2日。マキシシングル『Go Go Round This World!』発売。
5月18日。TBSホールでのライヴを最後にオリジナルメンバーの小嶋が脱退。小嶋は佐藤がライヴ後にヒマワリをくれたことが印象に残っているという。
6月17日。マキシシングル『Melody』発売。
6月18日。この日からサポートギタリストとしてヒックスヴィルの木暮晋也が参加。
7月~8月。ギターにBuffalo Daughterのシュガー吉永を迎え、ロンドンでアルバムのレコーディング。ロンドン行きはZAKの発案。スタジオに卓球台があり、メンバーは作業の合間に卓球をしてリフレッシュした。この時点で佐藤はレコード会社の移籍を決意していた。
10月21日。シングル『MY LIFE』、アルバム『Orange』同時発売。『感謝(驚)』はロンドン行きの直前に佐藤が書き上げた。
12月。サポートギタリストとしてザ・カスタネッツの小宮山聖が参加。小宮山は明学ソングライツで茂木・柏原と同期で、佐藤に憧れていたという。

1995
3月~5月。『Oh! Mountain』ツアー。阪神淡路大震災の影響で神戸公演は中止になった。
3月17日。初のライヴアルバム『Oh! Mountain』発売。タイトルの由来は諸説あるが、小宮山曰く、佐藤がツアー中に広島駅で降りた時「山しかねえじゃねえか!」と言い放ったのが元ネタではないか、とのこと。
5月。『Oh! Mountain』ツアー終了後、ポリドールへ移籍。
8月。プライベートスタジオ「ワイキキビーチ/ハワイスタジオ」に入居。機材はもちろん、家具や調度品も自分たちで探して設置した。時間を気にせず音楽に集中できる環境が整った。スタジオ予算を捻出するため、佐藤はディレクターと「2年で3枚のアルバムを作る」という約束をしていた。
9月19日。移籍記念ライヴ『Let’s POLYDOR』。このライヴを最後にHAKASEが脱退する。
11月1日。HONZI(key/violin)がライヴ初参加。柏原はゴリラの着ぐるみ姿でステージに上がるHONZIを見てショックを受ける。「演奏したらカッコよかった。全然ちがう次元の音楽を作らないとダメだと思った」(柏原)
11月25日。シングル『ナイトクルージング』発売。

1996
1月27日。サポートギタリストとして元SUPER BADのダーツ関口(Guitar)が参加。以降、ダーツ関口とHONZIがサポートメンバーとしてフィッシュマンズを支えていく。
2月1日。アルバム『空中キャンプ』発売。スタジオ作りから始まった制作がこの1枚に結実する。木暮はレコーディング中「ひょっとしたら世界一クリエイティブな場所にいるんじゃないか」と思ったという。
発売当日から全10本のツアー『若いながらも歴史あり』がスタート。佐藤は名古屋CLUB QUATTROでのMCで「アルバム『空中キャンプ』! やっててすげえ楽しい!」と充実感を表現している。ツアーファイナルは新宿LIQUID ROOM 2days。
3月27日。シングル『BABY BLUE』を発売(アルバムからのシングルカット)。
7月~8月。シングル『SEASON』とワントラックアルバム『LONG SEASON』のレコーディング。『若いながらも歴史あり』のツアー中に「終わらない曲を作ろう」というアイデアが生まれ、メンバーとサポートメンバーの5人でセッションを重ねて作り上げた。はじめに佐藤が持ってきたデモは『バックビートにのっかって』だったという。
9月26日。シングル『SEASON』リリース。
10月25日。アルバム『LONG SEASON』リリース。1曲35分16秒の大作。UA、THEATRE BROOKの佐藤タイジ、ASA-CHANG、MariMari等が参加している。エンジニアのZAKが長時間集中して作業をするあまり目から血を流す場面もあった。
12月。名古屋、神戸、東京を回るツアー『LONG SEASON '96~'97』。

1997
2月~6月。アルバムのレコーディング。佐藤が持ってきたデモの完成度があまりにも高く、茂木と柏原は悩んだという。特に『IN THE FLIGHT』については手のつけようがなく、ほとんどデモ音源のままアルバムに収録されることになった。
6月7日。日比谷野外音楽堂にてライヴイベント『闘魂’97』。YO-KING、BIKKE、渡辺俊美が出演。
7月2日。シングル『MAGIC LOVE』発売。
7月24日。アルバム『宇宙 日本 世田谷』発売。
8月4日。プライベートスタジオ「ワイキキビーチ/ハワイスタジオ」閉鎖。さらにデビュー時からサウンドを支えてきたエンジニアZAKが離脱する。
8月~9月。全国ツアー『宇宙 日本 奥田イズム~夏~』。ツアーファイナルは日比谷野外音楽堂での初ワンマン。PAは西川一三が担当。
10月22日。マキシシングル『WALKING IN THE RHYTHM』発売(アルバムからのシングルカット)。アルバムとは全く異なるアレンジの4 versionを収録。
12月。『WALKING IN THE 奥田イズム』ツアー。大阪・名古屋・東京を回る。
この時期に柏原が脱退の意思をメンバーに伝え、翌年末での脱退が決まる。

1998
2月下旬。ライヴアルバム『8月の現状』スタジオセッション開始。
3月。ツアー『低音バッシュ』(名古屋、大阪、福岡、東京)。
6月7日。日比谷野外音楽堂にてライヴイベント『闘魂’98』。対バンはBuffalo Daughter。
8月19日。ライヴアルバム『8月の現状』リリース。
8月~10月。全15本の『8月の現状』ツアー。ツアーファイナルは日比谷野外音楽堂。
12月2日。シングル『ゆらめき IN THE AIR』リリース。
12月17日~28日。『男達の別れ』ツアー。佐藤は「脱退する柏原とバンドに残る自分たちが、ここで一度別れる」という意味でタイトルを決めたという。ツアーファイナルの赤坂BLITZ公演を最後に柏原が脱退。佐藤はMCで「来年はレコーディングを少しして、できたら夏以降にライヴをやりたい」と話していたが、この日が彼にとって最後のライヴとなってしまう。

1999
3月15日。佐藤伸治 永眠。
同月17日。ビデオクリップ集『THREE BIRDS & MORE FEELINGS』発売。映像ディレクターは川村ケンスケ。ヴァージン・ジャパン〜メディア・レモラス時代のベストアルバム『FISHMANS BEST 1991-1994 〜 Singles&More』発売。
同月20日。佐藤伸治音楽葬。茂木を中心にサポートメンバー・脱退したメンバーが駆けつけ、フィッシュマンズの楽曲を演奏して佐藤を見送った。
6月。ポリドール移籍後のベストアルバム『Aloha Polydor』発売。選曲は茂木が担当。
7月。ライブイベント『フィッシュマンズ的組合』を東名阪で開催。
9月。ライブアルバム『98.12.28 男達の別れ』発売。ミックスはZAKが担当した。

2000
2月19日。『ロングシーズン 佐藤伸治詩集』発売。
10月25日。ライヴビデオ『記憶の増大』発売。翌月DVDもリリースされる。
11月2日。ビデオ+ライヴ・イベント『映像キャンプ2000~記憶の増大~』@新宿LIQUID ROOM。

2001
4月。ビデオ+ライヴ・イベント『映像キャンプ2000~記憶の増大~』大阪・名古屋公演。

2005
4月21日。2枚組ベストアルバム『空中』『宇宙』発売。茂木欣一が監修と選曲を務めた。レコード会社をまたいで全キャリアを網羅し、デモ音源・ライヴ音源などレアトラックを多数収録。
8月20日。RISING SUN ROCK FESTIVAL '05に出演し、ついに再始動する。茂木と柏原に加え、関口、木暮、HONZIが参加。ゲストヴォーカルは忌野清志郎、原田郁子(クラムボン)、ハナレグミ、UA。
11月9日。ワンコイン・シングル『いかれたBaby / 感謝(驚) / Weather Report』発売。さらにライヴ DVD『若いながらも歴史あり 96.3.2 @新宿LIQUID ROOm』を同日リリース。
11月23・25・27日。ツアー『FISHMANS presents "THE LONG SEASON REVUE"』 3公演(東京・名古屋・大阪)。メンバーは、茂木欣一、柏原譲、HONZI、関口”Darts”道生、木暮晋也、沖祐市。ゲストヴォーカルに山崎まさよし、原田郁子、ハナレグミ、UA、蔡忠浩 (bonobos)、pocopen(さかな)、キセル、POD(Moderndog)、パーカッションにASA-CHANGを迎える。東京公演ではスペシャルゲストで、ファーストアルバムのプロデューサー・こだま和文(Dub Station)が出演した。
12月28日。ライヴDVD『男達の別れ 98.12.28 @赤坂BLITZ』発売。映像ディレクターは川村ケンスケ。

2006
3月25日。ライヴ&ドキュメンタリー映画『THE LONG SEASON REVUE』公開。監督は川村ケンスケ。
7月30日。FUJI ROCK FESTIVAL '06に出演。メンバーは茂木、柏原、HONZI、関口”Darts”道生、木暮晋也、沖祐市、原田郁子、ハナレグミ、UA、蔡忠浩、pocopen、キセル。

2007
9月27日。HONZI永眠。

2009
8月28日。SPACE SHOWER SWEET LOVE SHOWER 2009にFISHMANS:UAとして出演。キーボードにHAKASE-SUNが復帰。

2011
5月3日。ライヴ『A Piece Of Future』@日比谷野外音楽堂。デビュー20周年、佐藤伸治13回忌のタイミングで、発起人は佐藤の父親だった。イベントタイトルの同名曲は、佐藤が生前に書き下ろした最後の楽曲。

2012
4月15日。EARTH×HEART LIVE 2012に出演。ゲストヴォーカルは原田郁子、の子(神聖かまってちゃん)。対バンはサカナクション。
8月11日。RISING SUN ROCK FESTIVAL 2012 in EZOに出演。
9月30日。茂木が所属する東京スカパラダイスオーケストラ主催のイベント『トーキョーナイトクルージング』に出演。

2014
5月5日。VIVA LA ROCK2014出演。ステージ3日間の大トリを務める。
8月16日。RISING SUN ROCK FESTIVAL 2014 in EZO出演。

2015
4月25日。ARABAKI ROCK FEST.2015出演。
9月5日。OTODAMA'15~音泉魂~"闘魂編"に出演。

2016
6月29日。ライヴアルバム『LONG SEASON '96~7 96.12.26 赤坂BLITZ』発売。監修は茂木欣一。
7月。3都市を回るツアー『FISHMANS TOUR “LONG SEASON 2016”』を行う。

2018
8月。アナログベスト『Blue Summer 〜Selected Tracks 1991-1995〜』発売。
同月。ZAKによるリミックス「ナイトクルージング 2018」を含むアナログベスト『Night Cruising 2018』発売。同月。『RISING SUN ROCK FESTIVAL 2018 in EZO』出演。
11月。10インチアナログ盤『ナイトクルージング 2018』発売。

2019
2月19日。ライヴイベント『闘魂2019』開催。対バンはcero。佐藤伸治の急逝から20年、『男達の別れ』を意識したセットリストを組み、白を基調とした衣装でライヴに臨んだ。『ゆらめきIN THE AIR』では『男達の別れ』のライヴ音源から佐藤のヴォーカルとHONZIのバイオリンの音を抜き出し、共に演奏する試みに挑戦。「あの曲をほかの人が歌うことは考えられなかった」(ZAK)。「2019年の響きで鳴らすことができた」(茂木)
9月7日。前年台風の影響で中止されたOTODAMA'18-19~音泉魂~に出演。

2020
6月14日。コロナ禍で完全無観客ライヴ『FISHMANS AR LIVE「INVISIBILITY」』をdommuneにて配信。

2021
4月21日。デビュー30周年記念イベント『Time passes and the future is now』配信。
5月29日。ライヴアルバム『若いながらも歴史あり96.3.2@新宿LIQUID ROOM』発売予定。
7月9日。結成から現在までの足を辿る『映画:フィッシュマンズ』公開。